うつ病を甘えと宣う連中は総じてうつ病になればいいと思う
どうも、僕です。
うつ抜けしてそろそろ1年になろうとしているので、発症前の身体の異変から薬が抜けるまでのことを備忘録として残しておこうと思います。
前兆
当時は気づかなかったが、今思うと最初の身体症状はこれだった。
僕は旅行が好きなので、前職の本当に少ない休み(例:夏期休業中のお盆休み2日、冬期休業中の年末年始)は風邪などひかない限りは必ずどこかに旅行に行っていた。
うつ病と診断がつく直前のこと、例年通りお盆休みは2日間確保できることがわかっていたのだが、どこへ行こうか、何をしようかを考えるのがとてもおっくうだった。新車を購入していたのにドライブにすら行こうと思わなかったのである。
そんな状態だったので、お盆休みの2日間は寝て過ごした。この間もどこかに行こうという気持ちには全くならなかった。
夏期休業が終わり新学期になってさらに身体症状が出るようになった。
夜寝ることができないのである。
当たり前のように12時間近く労働してクタクタになっているのに、夜になると眠れない。そんな状態なので朝起きるのが非常に辛い。人生で初めて仕事をしたくないと思い始めたのもこの時期だった。
さらに、追い打ちをかけるように授業中に立っていられなくなるようになった。15分くらい立っているとめまいやふらつき、息切れが生じ、度々座って授業をせざるを得なくなった。当時の生徒には非常に迷惑をかけた。
診断にいたるまで
そんな状態が続きながらも、何とか仕事はしていた。過労だろうなと思うくらいだったので、仕事がひと段落したら管理職に相談して2~3日まとまった休みをもらえるように相談しようと考えていた。
しかし、あるとき隣席の同僚にこう言われた。
「だいぶ長い時間ボーっとしているけど大丈夫ですか?」
話を聞くと、自席のPCに向かいながら、10分くらい画面を見つめ続けていたとのこと。
その時になって、自覚していた身体症状をふまえ、これはただの過労ではなさそうだと思うようになり、心療内科を受診した。
心療内科では身体症状や仕事についてのヒアリングのあと、検査をした。検査ではお絵描きをさせられたのが非常に印象に残っている。
ヒアリングや検査の結果をふまえ、即日でうつ病という診断が出た。
医者に
「仕事休める?」「診断書書く?」
と聞かれたので、とりあえず仕事がひと段落したら休むつもりです、診断書は今は特に必要ないですと伝え、その日は帰宅した。
うつ病になった原因
極めてシンプル。
・長すぎる労働時間
通常の勤務時間プラス時間外勤務が月平均120時間、ひどい月には160時間とかざら。100時間切ると今月少ないなってレベル。
・精神的に追い込まれた
管理職や同僚からではない。今思うと恫喝に該当するような発言もぶつけられましたね。すべての学校にスクールロイヤーがつくことを切に願う。
仕事を休むまで
治療は極めてシンプルで、服薬しつつ、積極的に休養を取ることの2本立て。特に休養については、1~2か月のまとまった休みを取ることを医者から強く言われた。
処方された薬は、ロラゼパム(抗不安薬)、イフェクサー(抗うつ剤、最初は37.5mg、のちに70mg)、ゾルピデム(睡眠導入剤)の3種で、治療の初期は抗うつ剤を段階的に増やすため、2週間に1回病院に行った。
2回目の通院のとき、医者から
「休むスケジュールは決まった?」「決まってないの?入院する?そうしないと休めないんでしょ?このまま仕事すると危ないよ」
と言われた。
人生で初めての入院がうつ病っていうのがとても嫌だったので、病院から職場へ直行、管理職に仕事が片付く2週間後から1か月休ませてくださいと伝えに行った。伝えたときにはとても謝られた記憶がある。
2週間の間、成績処理業務を行い、可能な限り授業に差し障りのないように自習用の教材をすべて作り、業務の引継ぎをして無事1か月間の休みに入った。
治療中の行動と辛かったこと
1か月間の休みの間はひたすら寝ていた。
朝起きて薬を飲んで寝る。昼起きてまた寝る。夜は睡眠導入剤で無理やり寝る。
どこかに出かけるわけでもなく、このルーティーンで1か月間過ごした。
この時期は親にも何も言われず、飯を食べる時間、風呂に入る時間も自由にさせてもらった。
休みが終わって復職したとき、休みの間には気がつくことがなかった3つの苦しみを味わうことになった。
1つは、薬の副作用である。飲み続けて2か月になるまでは、とても気持ち悪かった。
次に、車の運転である。ボーっとしてしまうため、自分でもとても危険だと思っていた。ど田舎なので公共交通機関を利用しての通勤が不可能であったため、運転せざるを得ない状況だった。対人、対物事故を起こさないように全神経を注いで運転することになり、職場と自宅の往復でとても疲弊した。
どうしても運転できそうにないときは職場まで親に迎えに来てもらうなどして、何とか乗り切った。
最後は不安定な体調である。これはもうどうしようもなかったので、溜まりに溜まっていた年休を使って早退するなりなんなりした。このころになると仕事より自分の体調が大事だということに気づいたので、大したことのない仕事は周りに投げて休んでいた。
まあ3つめのやつは復職してから1か月もしないうちに残業祭りで身体に無理を強いてしまったのが悪かった。でも残業せざるを得なくしたのは僕ではないので僕のせいではない。
治療の終わり
前職はうつ病になった年度末で退職し、今の職場になった。
残業もほぼなく、土日も休み。次第に体調も良くなった。
昨年の6月のこと。定期の通院の際に、
「体調よさそうだからもう来なくていいよ。薬は自分で調節して段階的に抜いていってね」
と言われ、通院は終わった。
通院 は 終わった。
この後、薬を抜くことがくっっっっっっっっそ辛かった。
ロラゼパム(抗不安薬)は飲んでも意味ないよなって感じていたため、飲み始めてすぐに飲まなくなり、この時期にはもうもらっても捨てていた。
問題はイフェクサー(抗うつ剤)とゾルピデム(睡眠導入剤)である。
まずイフェクサー。離脱症状(薬が切れるとあらわれるもの)がとても辛い。
ネットで調べるとシャンピリ感などと表現されている。よくわからない。
万人に理解してもらえるような表現をすると、このイフェクサー、切れると正座して足が痺れたときの感じが全身にくる。
これがとても辛く、ものに触ろうものならその痺れが顕著になる。生き地獄である。
では、薬を飲めばマシになるのか。確かにマシにはなるが、今度は薬を飲むと気持ち悪くなるのである。飲んでも地獄、飲まなくても地獄。
こいつを1日おき、2日おき、3日おき…というように飲む間隔をあけていき、最終的に飲まなくするように持っていくのである。
次にゾルピデム。こいつもやばい。
単純に飲まないと眠れない。ただそれだけだけどこれも辛い。
イフェクサーの離脱症状の兼ね合いもあって、抜かなければならないのにこいつに頼って寝た夜がけっこうあった。
この辛さを1か月以上耐えて、たまたま薬を飲む日に飲むのを忘れたことによって薬を抜く作業が終わった。最後はあっけなかったけど、とにかく辛かった。
うつ抜けしてから思うこと
自律神経系の体調不良に弱くなった以外は、特に日常生活に支障はない。
日常生活にほぼ支障がないくらいに回復したのは、早めに病院に行くきっかけをくれた隣席の同僚と、無理やり休むよう働きかけた医者、休みをくれた管理職のおかげだと思う。
比較的早く回復してもこれだけ辛い思いをしたのだから、周りにおんなじ経験をしそうな人がいたときは、お節介でも病院に行くように働きかけたりしてあげようと思う。
今健康な人にアドバイスするならば、休めるとき休むのはもちろんのこと、身体に異常があるときは仕事をぶん投げてでも休めということ。
具合悪くなってからでは遅いよ。本当に。